胃癌術後リハビリで理学療法士が押さえるべきポイント
【呼吸器合併症の予防と早期離床】
「先生、深呼吸してもいいですか? 痛くて……」
術後1日目の患者からこう聞かれたとき、あなたはどう答えるだろうか。
胃癌に対する胃切除術は、上腹部を大きく侵襲する手術であり、術後の呼吸器合併症(Postoperative Pulmonary Complications:PPC)は決して珍しくない。無気肺・肺炎・低酸素血症は在院日数延長や死亡率上昇と直結し、急性期理学療法士の介入がその予防に重要な役割を果たす。
本記事では、胃癌術後リハビリテーションにおいて理学療法士が押さえるべきポイントを、呼吸器合併症リスクの評価・呼吸理学療法の実践・早期離床の進め方・疼痛管理との協働という4つの軸から解説する。
- 術後呼吸器合併症(PPC)の定義と上腹部手術後に多い理由
- ARISCATスコアによるリスク因子の層別化
- 深呼吸練習・ハフィング・インセンティブ・スパイロメトリー(IS)の使い方
- 術後日数(POD)別の早期離床プログラムの組み方
- 疼痛・低栄養・サルコペニアを踏まえた多職種連携の視点
術後呼吸器合併症(PPC)とは何か
術後呼吸器合併症(PPC)は、無気肺・肺炎・胸水・呼吸不全・気管支痙攣などを包含する概念であり、術後の回復を大きく左右する合併症群である。
上腹部手術後のPPC発症率は5〜15%とされ(Canet et al., 2010)、リスクの高い患者では30%に達するとも報告されている。PPCが発症すると在院日数が平均4〜7日延長するとされ、医療コスト・患者QOLへの影響も大きい。
なぜ上腹部手術後に無気肺が起きやすいのか
上腹部手術後に特にPPCが多い理由は、以下の3つのメカニズムによる。
-
①
横隔膜機能の低下 腹部内臓への侵害刺激が横隔神経反射を抑制し、術後早期に横隔膜の動きが著しく低下する。術後の機能的残気量(FRC)は臥位で術前比30〜50%低下するとされ(Brooks-Brunn, 1995)、末梢気道の閉塞・無気肺形成に直結する。
-
②
創部痛による吸気制限 上腹部の創部痛が深吸気を妨げ、浅速呼吸が続くことで換気量が低下する。特に下葉換気が制限され、重力依存領域への無気肺形成リスクが高まる。
-
③
臥床・廃用による換気低下 術後の臥床が長引くほど、重力依存部位(背側下葉)の換気が低下する。早期離床による体位変換が無気肺予防に有効な理由はここにある。
リスク因子の評価:ARISCATスコアを活用する
術後肺合併症リスクの層別化には、ARISCATスコア(Canet et al., 2010)が広く用いられる。7項目から構成され、術前に客観的なリスク評価が可能である。
| 評価項目 | スコア |
|---|---|
| 年齢(51〜80歳:3点、80歳超:16点) | 3〜16点 |
| 術前SpO₂低下(91〜95%:8点、90%以下:24点) | 8〜24点 |
| 術前1か月以内の呼吸器感染 | 17点 |
| 術前貧血(Hb<10 g/dL) | 11点 |
| 手術部位(上腹部:15点、胸腔内:24点) | 15〜24点 |
| 手術時間(2〜3時間:16点、3時間超:23点) | 16〜23点 |
| 緊急手術 | 8点 |
合計スコアが26点以上で中リスク、45点以上で高リスクと分類される。胃癌手術は「上腹部手術(15点)」に相当し、年齢・術前貧血が重なれば高リスク群に入る症例も多い。
ARISCATスコアは術前評価の段階でリスクを「見える化」するツールである。スコアが高い症例ほど、術前から呼吸理学療法の介入(術前指導・深呼吸練習・喀痰指導)を開始することが推奨される(Boden et al., 2018)。
注目すべき追加リスク因子
ARISCATスコアに含まれないが、胃癌術後の急性期PTとして特に注意すべきリスク因子がある。
| 因子 | 臨床的意義 |
|---|---|
| COPD・喘息の既往 | 基礎的な閉塞性障害が術後の気道クリアランスをさらに低下させる |
| 低栄養(Alb<3.0 g/dL) | 呼吸筋力低下・免疫機能低下によりPPCリスクが増大する |
| サルコペニア | 吸気筋力(PImax)低下が無気肺形成リスクに直結する(Schols et al., 2014) |
| 喫煙歴 | 術前8週間以上の禁煙で有意にPPCリスクが低下するとされる |
呼吸理学療法の具体的手技
呼吸理学療法は単一の手技で完結するものではなく、深呼吸練習・排痰手技・体位管理を組み合わせた多面的介入として機能する。
①腹式深呼吸練習・胸郭可動性の確保
上腹部手術後は創部痛により腹式呼吸が困難となることが多い。まず端座位または半坐位(30〜45°)にて「胸が広がる」感覚から導入し、徐々に腹式呼吸へ誘導する。
- 腹部(または胸部)に手を当て、膨らみを視覚・触覚で確認させる
- 吸気:ゆっくり3〜4秒かけて鼻から吸う
- 吸気終末で1〜2秒保持(breath stacking)
- 呼気:ゆっくり4〜6秒かけて口から吐く
- 1セット5〜10回、1日3〜5回を目標に
②インセンティブ・スパイロメトリー(IS)の活用
ISは患者が吸気量を視覚的に確認しながら深呼吸を行えるデバイスであり、術後の動機づけツールとして有用である。Cochrane reviewではIS単独の効果については結果が一定していないが(do Nascimento Junior et al., 2014)、深吸気行動を習慣化させるうえでの補助的役割は大きい。
ISの目的は「器具を使うこと」ではなく「深吸気を繰り返す行動を習慣化させること」である。初回セッションで使い方を丁寧に説明し、患者が病棟で自己管理できる状態を目指す。
③ハフィング・splinted cough(抱きしめ咳嗽)
有効な咳嗽が困難な場合、創部をクッションやタオルで押さえながら咳をするsplinted coughを指導する。痛みで弱い咳しかできない患者には、まず「ハッ」という短い呼気を繰り返すハフィングから始め、分泌物を中枢気道に移動させてから咳嗽につなげる。
④体位ドレナージ
左下葉無気肺に対しては、原則的に右側臥位が適応となる。ただし術後早期はドレーン・ライン類の管理を最優先とし、担当医・看護師と事前に体位の許可範囲を確認したうえで実施する。可能であれば右側臥位15〜30分の保持を病棟スタッフと連携して促す。
体位変換の際は、腹腔内ドレーン・硬膜外カテーテル・末梢点滴ラインの屈曲・抜去に注意する。事前に看護師と体位変換の方向・許容範囲を必ず確認すること。
早期離床プログラムの進め方(POD別)
ERASプロトコルでは術後早期(POD0〜1)からの離床が推奨されており、早期歩行開始はPPC発症率低減・DVTリスク低減・在院日数短縮と関連することが示されている(Castelino et al., 2016)。
| 術後日数 | 離床目標 | 理学療法の主な介入内容 |
|---|---|---|
| POD0 (手術当日) |
ベッドアップ30〜45° | 足関節底背屈・ポンプ運動。ベッドアップの段階的挙上。呼吸練習の初回導入。 |
| POD1 | 端座位・立位 | 端座位練習(5〜15分)。立位確認。バイタル・SpO₂・NRS・疼痛の評価。IS導入。 |
| POD2 | 歩行開始 | 廊下歩行10〜30 m(監視)。ライン整理を看護師と協働。歩行時のSpO₂確認。 |
| POD3〜4 | 歩行距離の漸増 | 50〜100 m歩行。トイレ歩行自立化。呼吸練習の自己管理移行。 |
| POD5〜7 | 病棟内歩行自立 | 階段昇降練習。更衣・入浴動作指導。退院に向けた患者・家族指導。 |
・収縮期血圧≥180 mmHg または≤90 mmHg
・SpO₂≤90%(酸素投与中)
・心拍数≥120 bpm または≤50 bpm
・NRS≥8(安静時)
・新たな不整脈・ドレーン排液の急激な増加(鮮血性)
上記いずれかが出現した場合は即中止し、担当医・看護師へ速やかに報告する。
離床で重要なのは「どこまで進んだか」ではなく、「この患者に何が起きていて、今の介入は安全か」という臨床推論の質である。各ステップでのSpO₂・HR・NRS・表情を丁寧に観察しながら進めることが不可欠である。
疼痛管理との協働:理学療法士の視点
創部痛は呼吸・離床の双方を阻害する最大の障壁であり、PTはただ「離床を進める人」ではなく、疼痛がリハビリの妨げになっていないかをモニタリングする役割を担う。
毎セッション必ずNRSを評価する
セッション開始前・終了後のNRS評価を習慣化する。目安として安静時NRS≥6の場合は離床を急がず、まず疼痛評価を看護師に報告し、追加鎮痛の検討を依頼する。
硬膜外鎮痛の効果を確認する
術後硬膜外麻酔が施されている場合、「薬は入っているが効いていない」という状況が起こりうる。「呼吸で痛みますか」「どのあたりが痛いですか」と細かく問診し、鎮痛が不十分であれば麻酔科医へのフィードバックを積極的に行う。
患者への言葉かけ
術後患者の多くは「動いたら傷口が開くのではないか」という恐怖を持っている。以下のような言葉かけが有効である。
- 「動いても傷口が開くことはありません。一緒に確認しながら進めましょう」
- 「今のSpO₂は97%で安全です。少しずつ動いてみましょう」
- 「痛みは我慢しなくていいです。痛ければすぐ教えてください」
- 「今日は端座位まで、次は立つ練習と、段階的に進めていきます」
低栄養・サルコペニアへの視点:PTが栄養に関心を持つ理由
胃癌術後患者では、術前からの体重減少・食欲不振により多くの症例が低栄養・サルコペニア状態で手術を迎える。術後の炎症性サイトカイン上昇は筋蛋白分解を促進し、リハビリで消費するカロリー以上に筋量低下が進むというリスクがある。
PTとして意識すべき視点は以下の2点である。
-
①
NSTとの定期連携 経口摂取量・蛋白質摂取量・栄養補助食品の使用状況を把握し、「リハで消費した以上に食事でとれているか」を確認する。特に術後の早期飽満感(胃切除後)・倦怠感による食欲不振がある場合は、少量多頻度食の推進を栄養士と共有する。
-
②
運動と栄養のタイミング 抵抗運動後30〜60分以内の蛋白質摂取(アナボリックウィンドウ)が筋蛋白合成を促進するとされる(Fearon et al., 2011)。病棟でのリハ後に蛋白質を含む補助食品や食事が摂れる環境を整えることを、管理栄養士・看護師と連携して推進する。
まとめ:胃癌術後リハビリで理学療法士が押さえるべきポイント
- 胃癌術後の呼吸器合併症(PPC)は発症率5〜15%と高頻度で、在院日数延長・死亡率上昇と直結する
- ARISCATスコアを用いた術前リスク層別化が、介入計画の基盤となる
- 呼吸理学療法は深呼吸練習・IS・ハフィング・体位ドレナージの組み合わせで多面的に介入する
- POD1から端座位・POD2から歩行開始を目標とした段階的離床がERASの標準的な流れ
- 疼痛管理は呼吸・離床の双方に影響する。毎セッションのNRS評価と多職種へのフィードバックを怠らない
- 低栄養・サルコペニアはPTが栄養チームと連携すべき課題であり、運動のみでは対処できない
胃癌術後リハビリテーションにおける理学療法士の役割は、「患者を動かす」ことではなく、「安全に・段階的に・チームで回復を支える」ことである。目の前の患者の呼吸・疼痛・栄養・心理状態を総合的に把握しながら、臨床推論をアップデートし続けることが求められる。
本記事で解説した内容をもとに、実際の架空症例(71歳男性・幽門側胃切除術後・COPD既往+術前サルコペニア・術後無気肺)を用いたケーススタディ記事をメンバーシップにて公開中。
評価・統合・ICF分類・治療プログラム立案・考察まで、急性期PTの臨床推論を一連の流れでまとめています。
参考文献
- Canet J, et al. Prediction of postoperative pulmonary complications in a population-based surgical cohort. Anesthesiology. 2010;113(6):1338-1350.
- Boden I, et al. Preoperative physiotherapy for the prevention of respiratory complications after upper abdominal surgery: pragmatic, double blinded, multicentre randomised controlled trial. BMJ. 2018;360:j5916.
- Brooks-Brunn JA. Postoperative atelectasis and pneumonia. Heart Lung. 1995;24(2):94-115.
- Castelino T, et al. Optimizing postoperative care protocols in thoracic surgery. J Thorac Dis. 2016;8(Suppl 1):S3-S11.
- Chen LK, et al. Asian Working Group for Sarcopenia: 2019 Consensus Update. J Am Med Dir Assoc. 2020;21(3):300-307.
- do Nascimento Junior P, et al. Incentive spirometry for prevention of postoperative pulmonary complications. Cochrane Database Syst Rev. 2014;(2):CD006058.
- Fearon KC, et al. Enhanced recovery after surgery: clinical care for patients undergoing colonic resection. Clin Nutr. 2005;24(3):466-477.
- Schols AM, et al. New insights into the systemic consequences and management of COPD. Lancet Respir Med. 2014;2(11):942-953.
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