はじめに
理学療法士として臨床に出ていると、筋力や関節可動域といった「身体機能」だけでは説明がつかない動作の難しさに直面することが多々あります。
「リハビリの指示をすぐに忘れてしまう」
「障害物があるのに、注意が向かずにぶつかってしまう」
「立ち上がり動作の段取りが組めない」
これらの背景にあるのが認知機能であり、その障害である高次脳機能障害です。本記事では、理学療法士が臨床で迷わないために、これら二つの概念を整理し、リハビリテーションへの応用方法を詳しく解説します。
認知機能とは何か?PTが押さえるべき「5つのドメイン」
認知機能とは、一言で言えば「外の世界からの情報を脳に取り込み、処理し、行動へとつなげる一連のプロセス」のことです。
理学療法において重要な認知機能は、主に以下の5つのドメインに分類されます。
- 注意機能: 特定の情報に意識を向け、持続させる能力。歩行時の安全確認に直結します。
- 記憶機能: 情報を保持し、必要な時に取り出す能力。移乗の手順を覚えるために不可欠です。
- 言語機能: 言葉を理解し、表現する能力。指示理解や意思疎通の土台となります。
- 視空間認知機能: 物体の位置関係や形を把握する能力。車椅子とベッドの距離感をつかむ際に重要です。
- 遂行機能(実行機能): 目標を設定し、計画を立て、効率的に実行する能力。応用歩行や日常生活動作(ADL)の自立度を左右します。
これらの機能は独立しているわけではなく、ピラミッドのような階層構造をなしています。土台となる「意識清明度」や「注意機能」が安定していなければ、その上の「記憶」や「遂行機能」は十分に働きません。
高次脳機能障害の本質:なぜ「見えない障害」と呼ばれるのか
高次脳機能障害とは、脳卒中や頭部外傷などによって、前述した認知機能に障害が生じ、日常生活や社会生活に支障をきたした状態を指します。
麻痺のように目に見える症状ではないため、周囲から「やる気がない」「性格が変わった」と誤解されやすく、「見えない障害」とも呼ばれます。
代表的な症状
理学療法の場面で特に出現しやすい症状は以下の通りです。
| 症状名 | 具体的な臨床像 |
| 注意障害 | リハビリ中に集中が切れる、周囲の音に気を取られる、見落としが多い。 |
| 記憶障害 | さっき練習した動作手順を忘れる、担当療法士の名前を覚えられない。 |
| 遂行機能障害 | 動作が非効率的、不測の事態に対処できない、計画が立てられない。 |
| 社会的行動障害 | 感情のコントロールが効かない、意欲が著しく低い(アパシー)。 |
| 半側空間無視 | 左側(または右側)にある障害物に気づかず衝突する。 |
| 失行 | 筋力はあるのに、道具の使い方がわからない、服の着方がわからない。 |
なぜPTに認知機能の知識が必要なのか?
「脳機能の評価は作業療法士(OT)や言語聴覚士(ST)の仕事だ」と考えてはいませんか?実は、理学療法こそ認知機能の理解が不可欠です。
運動学習への影響
新しい動作(例:免荷歩行や杖歩行)を習得する「運動学習」のプロセスには、認知的なフェーズが必ず存在します。記憶障害があれば手順が定着せず、遂行機能障害があれば動作の自己修正が困難になります。
二重課題(デュアルタスク)と転倒リスク
日常生活での歩行は、「歩きながら周囲を見る」「会話をしながら歩く」といった二重課題の連続です。これには高度な「分配性注意」が必要です。
身体機能が回復しても、認知機能の低下(特に注意障害)がある患者さんは、注意が運動に奪われるとバランスを崩しやすく、転倒リスクが非常に高まります。
臨床で役立つ評価指標と観察のポイント
正確なアプローチのためには、まず評価が必要です。
主要なスクリーニング検査
• MMSE(ミニメンタルステート検査): 認知症の疑いを含む全般的な認知機能を30点満点で評価。
• HDS-R(改訂長谷川式簡易知能評価スケール): 特に記憶機能に焦点を当てた、日本で広く普及している検査。
• FAB(前頭葉機能検査): 遂行機能(前頭葉機能)を簡便に評価。動作の柔軟性や抑制能力がわかります。
• TMT(トレイルメイキングテスト): 注意の切り替えや持続を評価。歩行の安全性予測に役立ちます。
動作観察の重要性
検査数値だけでなく、リハビリ室への入室から退室までの行動を観察することが重要です。
• 「靴を揃えて脱げるか?(遂行機能・注意)」
• 「前回伝えた禁忌肢を守れているか?(記憶・抑制)」
• 「車椅子のブレーキをかけ忘れていないか?(注意・手続き記憶)」
これらの「些細なミス」の積み重ねが、高次脳機能障害を疑う重要なサインとなります。
5. 理学療法におけるアプローチの工夫
認知機能に課題がある患者さんに対し、力ずくの反復練習は逆効果になることがあります。
① エラーレス学習(誤りなし学習)
記憶障害がある場合、間違った動作を繰り返すと、その「間違い」自体を脳が記憶してしまいます。
• 工夫: 失敗させる前に介助や声掛けを行い、最初から正解の動作を体験させ、成功体験を積み重ねます。
② 環境調整と視覚的キュー
口頭指示(聴覚情報)だけでは理解が難しい場合、視覚情報を活用します。
• 工夫: 足の位置にマークを貼る、移乗の手順を写真付きで壁に貼る、ブレーキのレバーに目立つ色のテープを巻くなど。
③ 課題の単純化(チャンキング)
複雑な動作を小さなステップに分解します。
• 工夫: 「立ち上がって歩く」ではなく、「1.浅く腰掛ける」「2.足を引く」「3.お辞儀をする」とスモールステップで指示を出します。
④ 代償手段の構築
失われた機能を回復させるだけでなく、残された機能で補う視点です。
• 工夫: メモ帳、アラーム、スマートフォンのリマインダーなどを活用し、自立支援を図ります。
まとめ:動作の先にある「生活」を再建するために
理学療法士のゴールは、単に「歩かせること」ではありません。その歩行が、患者さんの生活の中で安全に、かつ目的を持って行われる必要があります。
認知機能と高次脳機能障害を理解することは、患者さんの「なぜできないのか」という苦しみに寄り添うことでもあります。身体と脳の両面からアプローチできるPTこそが、真の意味でのADL自立を支援できるのです。
明日からの臨床で、患者さんの動作の裏側にある「脳の働き」に、少しだけ目を向けてみてください。
【理学療法士の皆様へ】
今回の記事が、皆さんの臨床の一助となれば幸いです。高次脳機能障害の評価方法や、具体的な症例検討についてもっと詳しく知りたい方は、ぜひ他の記事も参考にしてください。
