〜 理学療法士が“なんとなくおかしい”に向き合ったとき 〜
はじめに|転倒は「ただの事故」では終わらせてはいけない
理学療法士として働いていると、日常の中に転倒報告が突然飛び込んできます。
「〇〇さんが、トイレに行こうとして転倒されました」
高齢患者にとっての転倒は、「入院期間の延長」「機能の低下」「退院支援の遅れ」「再発不安」など、あらゆる悪循環のスタート地点になります。
そして我々、理学療法士にとっては「介入の質」や「観察力」が試される瞬間でもあります。
なぜ転倒が起こったのか。それは防げなかったのか。
その答えを導き出すためには、表面的な情報の裏にある“兆候”を見抜く臨床推論力が求められます。
【この記事を読んでほしい人】

こんな人たちにこの記事を読んで欲しい。何かのきっかけになれば幸いです。
- ✅ 転倒を「防ぐ視点」で考えたい理学療法士
- ✅ 臨床推論にまだ自信が持てない新人セラピストや学生
- ✅ “なんとなく変だった”を見逃したくない人
- ✅ 現場での違和感を論理的に説明できるようになりたい方
- ✅ チームカンファレンスで“転倒の意味”を言語化して伝えたい中堅PT
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ケース紹介|「一見安定していた」患者が転倒した
■ 患者プロフィール
- 年齢・性別:82歳 女性
- 主疾患:左中大脳動脈領域脳梗塞(右片麻痺あり)
- 入院時ADL:ベッド⇄車椅子間は自立、T字杖使用での屋内歩行可能(見守りレベル)
- 併存疾患:高血圧、2型糖尿病、軽度の認知機能低下(MMSE 24点)
- 転倒状況:夕方17時過ぎ、病棟廊下を1人で歩行中、前方に転倒し前腕部に打撲
■ 転倒前の兆候
実は、その日の午前中のリハビリで、わずかな違和感を感じていました。
- 反応に遅れがあり、質問に対する返答が普段よりやや曖昧
- 立位保持中に上肢の緊張がいつもより高く、足部が不安定
- 歩行中の目線が床に向き、下肢の振り出しにためらいがある
ただそのときは、「疲れているのかな」と感じた程度で、明確にリスクとは判断しませんでした。
しかし結果的に、この小さな違和感が転倒リスクの予兆だったのです。
臨床推論のプロセス|転倒の原因はどこにあったのか?
臨床推論では、「起こった事象」から逆算して、原因を洗い出し、再評価を行います。
このとき役立った視点は、以下の3つのカテゴリーでした。
① 身体機能面の評価
- 麻痺側(右下肢)の股関節外転筋力が低下(MMT3)
→ 中殿筋の筋出力に左右差があり、立脚中の体幹制御が不十分 - 前庭・視覚への依存度が高く、目線が下がると姿勢が崩れやすい
→ 頸部前傾姿勢、足部感覚の変化から視覚代償傾向が推測された - 歩行時のステップ幅の不安定さ
→ 1週間前より約15%狭くなっており、下肢支持性の変化が疑われた
② 認知・神経面の変化
- その前日に降圧薬の処方が変更されていた
→ 血圧低下とともに傾眠傾向が報告されていた - 歩行中の注意の持続時間が低下
→ 会話しながらの歩行では歩速が著明に減速 - 注意障害に近い反応の遅延
→ 転倒した瞬間の状況を本人が明確に説明できず、記憶も曖昧
③ 環境・タイミング要因
- 転倒時刻は夕方17時台(いわゆる“ Sundowning time”)
→ 高齢者で認知症傾向がある場合、注意力や覚醒レベルが低下しやすい時間帯 - 照明が一部暗く、床の影が濃くなっていた
→ コントラストの変化が歩行時の不安定性に拍車をかけた可能性 - 病棟が静かでスタッフの目が届きづらい時間帯だった
→ セルフモニタリング能力が低い患者にとっては危険な条件
見えてきた“本当の原因”とは?
評価を通してわかったのは、単一の原因ではなく、複合的なリスク要因が重なっていたことです。
🔸 主因
- 薬剤変更による認知・注意力の低下
- 微細な筋力・歩行機能の低下に対する見落とし
🔸 増悪因子
- 時間帯・環境による外的ストレス
- “慣れてきた時期”ゆえの警戒心の低下
- 周囲の見守りの減少
その後のアプローチと再発防止策
✅ 実施した評価とトレーニング
- 認知負荷課題(Dual-task)での歩行練習
- 起立前後での血圧・覚醒レベルのチェック
- 歩行中における注意力・アイコンタクトの観察と再評価
✅ チーム内への共有
- 転倒リスクの兆候と薬剤変更の影響をカンファレンスで報告
- 看護師と協働し、夕方以降の移動見守りを強化
- 医師に報告の上、薬剤内容の再検討も検討された
まとめ|転倒を防ぐために必要なのは「観察」+「言語化」+「共有」
「この人、今日はちょっと違うな」
「歩き方に微妙な違和感があるな」
臨床でよくあるこうした“直感”こそ、最も重要な情報源です。
しかし、それを言語化し、評価で裏付け、チームに伝える力がなければ、転倒を防ぐことはできません。
臨床推論力とは、観察力を“武器に変える”ための思考法です。
あなたの気づきが、患者の安全を守る一手になります。